「建築」は母性を宿すか

建築学生時代自らのテーマとして取り組んだ課題

(青臭いな〜:懐)

当時は答えが出せると一心不乱に自問自答そして造形構築に取り組んだものです

(懐かしさも最近は思い出せないですね:笑)

近頃なぜか様々なクライアントと接すると

このテーマが浮かんでは消えます

・・・・・

いままで、ほんの一片ながら「建築界」に身をおき

高橋・妹尾・安藤・高松・北山・浜野・・・・という建築の匂いを嗅ぎ見聞したが

悲しいかな自ら思い描く『母性」は存在せず

世界を相手に日々闘争の世界だけが

鈍くも光り輝いている日常・・・と時間

時代が変わり世代が変わってもこれは普遍的な美学だと信じ得ています

(今でも・・・笑)

昨今の住宅建築にいたって

今想う事は・・・

この時間が「何の役にも立たないこと」こと・・・

そして「それを受け入れる事」が明日やクライアントへとつながり

後へと繋ぐことになるのです

結果:「宿す」どころか「不可欠な存在」ですね(笑:sim)

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