‘デザインに想う’ カテゴリーのアーカイブ

卒業



高校生最後の演奏を聴いた。

たくさんの友達やライバル・先生方と共に過ごした3年間は、

娘にとって有意義でもあり

成長期のステップになったことだろう。

春からは、場所を変え

新しい人々に囲まれながら一人で暮らしていく。

舞台芸術の道に入り自ら歩んでいこうとしているスガタを

今日は、少しだけ観ることが出来た(sim)

家づくり



「家づくり」・・・・

といっても様々な取り組みが現在、散在している。

クライアントになろうとしている方々にとっては、困惑する事象だろう。

根幹には、

クライントを牽引していく「人」はシンプルが最強だろう。

もちろん

設計やデザイン・施工や職人といった人や業種レベルでは全てにおいて立場的平等である。

なぜなら「チーム」であるべきだからだ!

しかしそれぞれ皆が、主張し始めるとクライアントは困惑するばかりである。

プロ集団によるトップ的立場が多数の家づくり

責任者がいないメーカー的取り組みの家づくり

組織的ヒエラルキーのゼネコン的家づくり

プロデューサー的第三者の介入による薄味の家づくり・・・など

とても回り道で

ジレンマの生じる家づくりになるだろう。

そもそも

クライント自体が以前(モダニズム以降もしくは経済破綻以降)にくらべ

過保護的な立場に落ちつつある。

けして先人やクライアントとなる方々の責任ではない。

創造を生業にしている我々の責任だろう。

工法やアイデア!

経済大国に勝負を挑まない事象かもしれない。

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シンプルこそ「美しい」

というのは、何もデザインから生み出されるカタチだけではない!

「取り組み」や「人間関係」においての「日常」にも直結する大切なワードになる。

しかるに

「クライント」「アーキテクト」「ビルダー」という相互関係を

再構築しなければならない時代であることは間違いない(つづく:sim)

建築



最近「建築」に携わる者として考え方が変わりつつある。

クライアントと共にする時間が増す程、変わる想いである。

いいかえれば元に「戻りつつある」と言った方がいいのかもしれない。

「ブルー」の時代を歩んで来た学生時代。

想い描いた理想の仕事をしたアトリエ時代。

(暮らしはキツかったがバイタリティあふれる仲間と過ごした時間)

混沌とした暗中の中、時間だけが過ぎた活動時代。

そんな我中流水をすぎた現在は

キラキラ輝いた瞳のクライアントに恵まれ

日々、建築夢中の日々である。

今日もそんなクライントと一緒に時間が過ごせる至福の時間があった。

「建築」は世界一幸せな仕事である。

衣食住のなかで唯一クライアントに近い所で仕事のできる幸せな仕事である。

どんなに時代や経済が変わろうと不変な生業であることは間違いない。

そのためにも本質の喜びをもっと若い人には分かって欲しい仕事である。

かっこ良く素敵なイメージを捨て去り

泥臭く地味でありながら「生み出す」幸せを学ぶべきだろう。

「建築」は世界一幸せな生業である(sim)

幸せ思考への想い



最近というか?

こちらに事務所をつくって依頼、良く見聞きすることがある。

なぜか「設計事務所」というカテゴリーが

「住宅メーカー」や「工務店・インテリアショップ」の比較にあげられている事だ。

「建築学」を学んできた自分にとって不可思議な事象である。

そもそも「比べられる」存在ではないのだ。

坪単価やアフターメンテナンス!都合のいいセールストーク!

そんなリップサービスは必要ない。

今の熊本における家づくりを考えると、

クライアントにおける資質は文化圏に比べると低い。

言い換えれば

「知らされていない」と言って良いだろう。

「設計事務所」と言った立場の人と付き合う事に慣れていない。

これは何が要因しているのだろう?

以前はEIIEでデザインした住まいを完成見学会させていただいていた。

それ尽きるに様々な人々が訪れる。

「坪単価は?」「間取りは?」

退屈な質問攻めにうんざりである。

しかも問いかけられた事に真摯に解答させていただいたあげく

こちらの問いかけについては、「秘密です!」???

こんな礼儀知らずのクライアントには、こちらからNGだろう。

「家づくり」の根幹にはお互いの「信頼」という信念と「人柄」から受け継がれる繋がるがある思う。

熊本において本当に必要な「家づくり」を探求しなくてはならない現状は悲しい事だが

少しでも「クライントの輪」と「本当の家づくり」が広がれば、うれしいことである。

そもそも

「設計事務所」と「住宅メーカー・インテリアショップ・設計施工業者]は、

次元どころかクライアントにとっての「幸せ思考への想い」に対する事象は、

比べ物にならない「対局」にあることを知って欲しい(つづく:sim)



最近クライアントとよくお話しさせていただく。

つくづく思うのは「家」という想いだ。

もちろん私にも家族がいる。

そんなお互いの想いの先には「暮らし」という将来と未来がある。

「家」は、けして商品ではない。

無論、あるべきでは、「ない」のだ。

・・・・

「人」は、悲しいかな生み出す事が出来ない存在である。

地球上に存在しうる生物や植物とは、違う「悩み」を持ちあわせながら、

それ以上の「幸せ」を得ようとしている。

自らが生計を営む「場所」を決め、我が子の為に暮らし創る。

それ故に我一片のスタイルなど存在しないのが現実なのだ。

「こだわる」という現在では贅沢というべきな響きは、

「家づくり」というくくりからすれば至って「普通」なのだ。

言い換えれば、そんなふうに思わされているのだ!

既製品や建て売り!都合のいい企画住宅という一見、わかりやすく都合良く、便利であるカタチも

知らない内にクライアントが「モノ」に合わせる!という逆転が生じる。

必ず窮屈な暮らしに完成後に気づくだろう。

我々の責務は、そんなつまらないロジックなどさっさとゴミ箱に捨てさり

クライントの為に汗をかくことだろう。

・・・・

「家づくり」を推奨してキャッチセールスとしているメーカーや業者は襟を正すべきである。(つづく:sim)

佇まいと美しさ



佇まいと美しさ・・とは、

繊細なディティール

抑えられたモデュロール

シンプルな導入手法

・・・・が集結したモノだと想う(sim)

グレートワン



ひときわ存在感をはなつグレートワン。

ヒューマンスケールを逸脱するスケール感はここまでくると気持ちいいくらい(笑)

ベーシックなデザインでもいろんな手法で変わるものです。(sim)

TOYOKITCHEN HP→ http://www.toyokitchen.co.jp/products/lighting/tk_selection2/

Whity



設計図書である。

クライント・アーキテクト・ビルダーそして現場用として4冊作製する。

それぞれが持ちあうことで情報の共有となるのだ。

設計をスタートしてこの図書に盛り込まれた内容はクライントと共に創り上げてきたモノ。

家族や暮らし・自分にとって必要なモノや理想のカタチ。

そう思えばこの一冊は「暮らし的物語」の本である。

いろんなストーリーが詰まった中身はクライアントにとってワクワクすることだろう。

別軸ではこれこそが設計事務所の仕事のカタチである。

設計&監理という業務の成果品に当たる。

我々の仕事はカタチがないソフト的な業務。

特定のスタイルを持たず展示場や営業もいない。

(これは設計事務所独特の事象だろう)

もちろん既製品的な建売もしない。

あるのはクライアントと共に同じ方向を見ながら現実に向けて邁進する理念だけである。(sim)

モデリング3D



2プロジェクトのデッサンがカタチづけられていく。

ドローイング・ゾーニング・スケッチ・モデリングといろんな手法を用いてイメージを検証していくのだ。

双方家族構成やこだわりは違うもののフラットな平屋暮らしという点では同じである。

すなわち平屋独特の佇まいと開放性は暮らしに直結する大切なファクターとなる。

クライアントから頂いた一定の時間軸のなかで出来る限りの可能性と現実性を整えて行くワーキングは

毎日が繰り返しともいうべき暗中模索的な中に一線の結論を出す

スリリングな仕事であることは間違いないだろう。

来週末と今月末のプレゼンテーションに向けて作業は進む。

時間軸との戦い



ビルダーの役割は設計と同等の必要性と責任を担う。

家づくりにおいて3分法の一端を独立生産性を持ちクライアントの想いを創って行く。

それほどビルダーの資質は重要な存在である。

いわゆる思想的ポリシーが求められるのである。

いつも設計の根幹に好奇心という想いを告げているがビルダーに至ってもそうだと確信している。

「儲からない」

「時間がない!」

などなどクライアントが聞くとガッカリするところだが

この世界、如何に時間をつくるのが勝負と言っていいだろう。

なぜならモノづくりには近道は無いのだ!

一日24時間決まっている時間軸で生きて行くしかない。

これはアーキテクト・ビルダーのみならずクライアントとも同じである。

自営も公務員もサラリーマンもみな同じである。

時間という枠の中で如何に稼ぎ次世代へ繋げて行くか・・・・

そうして時代は伝承へとつながり反映して来たのである。

そんな好奇心豊かなビルダーに恵まれるクライアントは本当に幸せである(つづくsim)