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「建築」は母性を宿すか



建築学生時代自らのテーマとして取り組んだ課題

(青臭いな〜:懐)

当時は答えが出せると一心不乱に自問自答そして造形構築に取り組んだものです

(懐かしさも最近は思い出せないですね:笑)

近頃なぜか様々なクライアントと接すると

このテーマが浮かんでは消えます

・・・・・

いままで、ほんの一片ながら「建築界」に身をおき

高橋・妹尾・安藤・高松・北山・浜野・・・・という建築の匂いを嗅ぎ見聞したが

悲しいかな自ら思い描く『母性」は存在せず

世界を相手に日々闘争の世界だけが

鈍くも光り輝いている日常・・・と時間

時代が変わり世代が変わってもこれは普遍的な美学だと信じ得ています

(今でも・・・笑)

昨今の住宅建築にいたって

今想う事は・・・

この時間が「何の役にも立たないこと」こと・・・

そして「それを受け入れる事」が明日やクライアントへとつながり

後へと繋ぐことになるのです

結果:「宿す」どころか「不可欠な存在」ですね(笑:sim)

らしさ



自自なる前の成しうる姿は其処に或るスガタ

単成るカタチをわかるべき

自ずとらしさが培っていくものです(sim)

現場主義

この職を選んで三十年が経とうとしている

つくづく思うのは現場のこと・・・

この瞬間が「今」と想わせる現場程輝かしい場所はないと感じ得ます

自ら厳しい枷を見る時間程

他人から見ればばかばかしく写るかもしれません!

しかし其処にある「節」ほど現実を突きつけられるでしょう

それと対峙することこそ

いままで培ってきた原点にほかありません(sim)

そこにあるべきスガタは

盛夏吹き荒れる涼風無二

全ての想いの無二感涙の最

此処にあるその今に

汗かくその日も

先にある其処にあるべき姿を知るべきである(sim)

水平なるスガタ

理と知の挟間に折る自らに一線先を知る力こそ

先ある時に繋がる想いあるばかりか・・・

全てを水平なるスガタとするならば四方万全の光りとなるでしょう(sim)

唯一無二の住まい

「No PHOTO」

とてもうれしいことがありました。

偶然なのか必然なのか・・・今!想えば後者でしょうか!

クライアントと接するにつれ設計する者、創る者は同化というリンクリズムに突入します。

言葉で言うよりこの出来事が・・・

(クライアント!ブログにのせてしまいました!スミマセン:笑)

あるインテリアのイメージフォトを私にプレゼンするクライアント!

その素材を事前に収集している私・・・

お互い顔を見合わせながら終始・・・沈黙・・・そして笑い!

このワーキングをしているとこのような場面によく遭遇しますがこれほどピッタリも珍しいかも・・・!

家づくりを通して暮らしを欲するクライアント!

そしてご家族に接することは

ヒアリングというカタチを有しながらクライアントリンクに繋がって行くモノ。

この想いがある限り無二唯一の我が家がコンプリートすることを信じて止みません!

クライアントの皆さん!

我が住まい!我が暮らし!建立にむけて邁進しましょう!(sim)

理と知の挟間



此処なる時間軸を紐解く事は知に始まり理に終わる。

脳解式に読み解くにも時なる挟間にジレンマさえ感じ得ます。

打策明星に日々月歩する事は少なからずも前進ならずや(sim)

クライアントの想い



この歳になるといろんなクライントとお会いします。←45歳です(笑)

いままで幾数の人とお会いした事か・・・・

しかしここで問わなくてはいけません!

一般社会の常識では幾数と表現しまいがちな言葉も私には非常に軽い表現に感じます。

クライントという家族や人は数では表現出来ない存在なのです。

これは日本固有の思想なのかもしれませんが人を数で表現してはいけないのです。

命あるもの当たり前のことでしょう。

そんなクライントと多く接することはいわば日々新鮮な毎日です。

あのときはこんなケースだったから今回はコレでいこう・・・とは思いません!

そこで感じるのは私達に訪れるクライアントに共通する想い。

一貫して「私達家族の住まいを考えて欲しい!!」

というメッセージただ一つでしょう。

そこには個人差でありますがいろんな伝え方があります。

ファイリングやディスカッションはたまたスケッチなどなど・・・・

これは受け側である私達がどうこうということではなく

全てを受け止めなくてはいけません。

(もしこれに注文をつけるとすれば受け側の怠慢では無かろうか・・・・)

長い作文でも短編小説でもいかなる言葉の数列に違いは無いと思います。

きっとその先には「自分らしい」という答えが待っているのでしょう。(sim)

平たく考える




さて皆さんモノづくりを人に依頼する時にどのように考えるでしょうか。

暮らしをおさめる家という訳でなく小さい事も含めて考えると以外と簡単な事だと想います。

小さい子に絵を描いてもらいたい時は目線をその子の高さまで下げてお話ししますよね!

背が高い青年には背伸びして合わせるはずです。

老若男女すべての人に共通することでしょう。

大切なのは人の目線という高さ関係ではなく気持ちの立ち位置の考え方です。

日本人古来の礼節と言っていいかしれません。

これは単にお願いする側される側と言う訳ではなくものつくりをとおして発生する事象かもしれません。

もちろん歳の差などによる尊敬の念は必要とされるものの

ものつくりには上下関係は存在しないとおもいます。

ところで建築事務所にはいろんな方々が訪れます。

クライアントをはじめビルダーはもちろんメーカーや商社まで・・・・

不動産やハウスメーカーそれにプロデュース関係にはじまり工務店などなど・・・・

ご年配のご婦人やお若いご夫婦なども・・・・

ありとあらゆる業種をふくめ職業の方々や年齢層の人々が出入りしているのです。

おそらくクライアントが考えている以上にフクザツ怪奇な場所でしょうね。(笑)

いいかえるならば建築事務所の立ち位置というのは何ら束縛も受けずシガラミが無い世界なのです。

(これがあると心がぶれて良いモノができないでしょう)

ただこれが一歩間違えるととんでもない事になって行きます(ブローカーですよね!!)

求めるものはクライアントである委託者への追求でしょうか!

そこで三分法的関係性が問われるでしょう!

クライント=ビルダー=アーキテクトの関係性は建築界にとって鉄則とも言えるカタチなのです。

これが昨今、プロデュースやコーディネート俗にいう設計施工会社により

くずれつつ悲しい現状があるもののクライントには???かも知れませんね。

言える事はこの三者においてお互いの信頼関係が基本になり相互関係を築く必要性が重要なのです。

元に戻りますが委託する側される側においてヒエラルキーは存在せず

お互いを想い礼節を尽くすこと!

人としてお互いを尊び託された事象に取り組みながら平たく考える心構えが

新しくも正当なカタチということなのでしょう!(sim)

愛らしい日々



日常茶飯事時の合間を縫って行き着く先は、

己気づかぬまま通り過ぎ海の彼方へと消えて行くモノでしょう。

勇気をもって自問奮起一頭立ち止まりほんの一時掬いとれば

両手にのこる全てのモノこそ

美しくも愛らしい日々の姿である(simoda)