「その家が本当に良い家かどうか」は、お引き渡し時では分かりません。
このページでは、ある家の誕生までの過程からお引き渡し、そして3年後までの暮らしぶりを
クライアント自身が撮影されたスナップフォトとコメントでご紹介します。
プレゼンテーションは運命的な出会いでした。ヒアリングの席でふんわりとしていた未来像が、こうしてEIIEからの回答として模型となると、私も妻も全神経を模型の中にミニチュア化し、玄関をくぐり、階段を登っては降り、あらゆる窓からの眺めを想像しました。他社のプランでは得られなかった高揚感でした。
建築現場は当時の住まいの徒歩圏内だったので週に2回は足を運び、たびたび職人さんの仕事ぶりを確認していました。まだ壁のない木造の骨組みの中に入ると、模型でイメージしていた空間より狭く感じたり、広く感じたり、不思議な感じがしました。足場が外れ、外観が見えた時は何というか、「描いた絵を皆の前に発表する生徒のような」気持ちになりました。
住宅模型の中に小さくなって入るという空想が現実となったその日。いろんなドアや引き戸を開ける度、まだがらんどうな空間に響く聞き慣れない音。見に来ていた時とは違う、家とわたしたち家族がかしこまって向き合うような、妙に落ち着かない感じでした。「末永くよろしくおねがいします(パンパン)」とかよく分からない儀式をしていました。
実際に生活し始めてみると、あれこれと気づき出す。そんな時心を占めるのは、良いことより不便と感じたことの方が多いです。でも、あわてて何かを買い足したりはしないでください。足りないと感じたものが不要と思えるようになったり、使い方を工夫して解決できたり、単純に慣れてしまったり…とりあえず季節がひと巡りするまでは、ミニマムな暮らしを心がけてみる事をおすすめします。
見るともなしに見やった風景が、美しい、絵になる。そんな時、本当にこの家に住んで良かったなあと思います。娘たちがちょっと先の未来でここでの暮らしを想い出した時、その風景がずっと美しく記憶されていればそれはとても幸せなことだと思うんです。
やがて家という存在が、空気のようになっていた。あるいは眺めるべき対象から普段着のように身に着けているような感覚になった、と言う方が近いかも。こうなると家の中をうろついていた心は次第に外へと向かい、日々の暮らしがより楽しくなってきました。
いつの間にか3年も経とうとしています。子供たちは少しずつ背を伸ばし、好きな遊びやマイブームも前とはずいぶんと変わってきたようです。煤竹色だったウォルナットの床は少し褪せて茶色っぽくなり、バスルームの窓は水垢が景色に白い模様をつけ、スイッチ周りの壁紙には手で触った跡が浮き出てきました。
私がEIIEに望んだ一番の希望は「時が経っても美しい佇まいの家であること」でした。まだ3年間では評価も時期尚早ですが、わたしたちの暮らしぶりによって擦り切れ、染みとなってなんというか、お気に入りのセーターのように家が馴染んできたような気がしています。