最近クライアントとよくお話しさせていただく。
つくづく思うのは「家」という想いだ。
もちろん私にも家族がいる。
そんなお互いの想いの先には「暮らし」という将来と未来がある。
「家」は、けして商品ではない。
無論、あるべきでは、「ない」のだ。
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「人」は、悲しいかな生み出す事が出来ない存在である。
地球上に存在しうる生物や植物とは、違う「悩み」を持ちあわせながら、
それ以上の「幸せ」を得ようとしている。
自らが生計を営む「場所」を決め、我が子の為に暮らし創る。
それ故に我一片のスタイルなど存在しないのが現実なのだ。
「こだわる」という現在では贅沢というべきな響きは、
「家づくり」というくくりからすれば至って「普通」なのだ。
言い換えれば、そんなふうに思わされているのだ!
既製品や建て売り!都合のいい企画住宅という一見、わかりやすく都合良く、便利であるカタチも
知らない内にクライアントが「モノ」に合わせる!という逆転が生じる。
必ず窮屈な暮らしに完成後に気づくだろう。
我々の責務は、そんなつまらないロジックなどさっさとゴミ箱に捨てさり
クライントの為に汗をかくことだろう。
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「家づくり」を推奨してキャッチセールスとしているメーカーや業者は襟を正すべきである。(つづく:sim)