家を建てる

クライアントは日々の稼ぎから家を建てる。

ローンを組み長い年月を経て家を建てる。

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ソレを担う関係者はソレを分かち合える方がいい。

飛び超えることなく

そっと側に居るべき。

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そっと手を差し伸べながら見えない曲がり角を案内すべきである。

住宅業界と建築界は相対する存在。

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建築家といえども皆と同じ世界でいきている。

社会とうまく付き合いながら他人の幸せを築くモノである。

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けして企業ではなく一人の想いと理念で進むもの。

クライアントの想いが個々の願うカタチとなる。

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そんなクライアントへの想いがあるモノは悲しいかな社会の片隅にいる。

けして奢る事無く静かに居るモノである。

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そんなジレンマとも言える想いと

クライアントが一般常識と信じている家づくりへの錯覚を

ブレークスルーする為に我が社をつくった。

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熊本において活動をされている建築家の事務所を廻り

間違った家づくりの縦割り構造をブレークする動きをした。

(建築家クラブである)

写真は当時、設計事務所による運営によって企画した「建築展」の一コマである。

また

地元で平等公平をうたったプロデュース会社とも付き合った。

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残念ながら想い半ばでプロデュース会社は廃業となってしまったものの

この取り組みのもと

完成したクライアントはとても良い生活をおくっている。

(いまでもお付き合いをさせていただいている)

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そんな

二人で始めた試みも今年で7年となった。

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当時、熊本に戻って来て驚いた事が有る。

建築界でアトリエというような個人設計事務所の社会的位置と認知度だ。

県民性といえばそうかもしれないが

クライアントの家の求め方にはなはだ疑問がある。

いいかえれば設計事務所のアピール不足といってもいいだろう。

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そんな事象の隙間を埋めるべく

プロデュース会社という立場の方々や企業が台頭してきている。

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そもそも

家を欲しいクライアントと

家を建てるビルダーがあれば良い話である。

簡単にいえば

建主と大工で十分なのだ。

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しかし大工と言っても腕のいいモノでなければならない。

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そして

幸せなのか現代で暮らす社会人は少なからず家を持てるシステム(分割支払い)になってる。

一生家を建てられない人が少ないくらいだ。

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しかし世界常識から言えばどうだろう。

家を持てないのが普通である。

幸せなのか不幸なのかそんな世俗である。

識字率も世界から比べると高い日本。

皆平等という理念のため産まれた社会である。

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数が増えれば大工のキャパや工法・技法にも限界があらわれ

設計という立場が生まれたのである。

19世紀などは時代(経済)が建築家を求めたものだが

今ではそんな事象はほとんどありえない。

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話は戻り

「家を持つ」という事は、

家族皆が将来まで健康に暮らし、稼ぎ、暮らすという営みである。

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ならばソレを受け止めてくれる家本体のコストバランスは非常にシビアなものだろう。

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住宅メーカーは利益率を4割程度想定している。

いいかえれば住宅ローンの4割程度は家族の為ではなく

顔も知らない他人の為に働くのだ。

数列からすれば25年に対して10年というタイムスパンだ。

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そんなタイムバランスが今の変な社会を形成している。

かなしいかな現代社会はそんな一面をもっている。

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設計施工をうたう工務店は3割程度

(私から言えば設計と施工を両立しているなど有り得ない話である)

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施工を専門とし建築が好きでクライアントのためにあるものは1割程度

と様々な利益配分が存在する。

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単純にクライアントからしてみれば将来のリスクと我が家に対する対価バランスが合致してほしいものだろう。

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我々の役目は単にデザインするだけでなく

根底には

社会における「幸福度のバランス」といった成形の責務を担っているのだと感じる。(sim)

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