ブーレーとルドゥ

モダニズム建築を理解する上で必ず引用される建築家ブーレーとルドゥ。

建築芸術は長い年月を経て後世と現代を結ぶ一本の光によって繋がっている。

世界の建築主流は国によって文化の違いは有れ根本の想いは以外と単純なもので共通財産だろう。

言葉が違い色も違う文化でも単純な程シンプルなモノだろう。

だたシンプルだからこそ困難な坂道もあるのは確か。

それは机上の理論ではなく汗と皺を実感した者のみ得られるカタチ。

そこに到達する事が建築を志す者全ての願いといってもいい。

(少なくとも私の求め探す時と場所)

俗世と隔離する境地とは裏腹に社会に追随しなければ表す事のない葛藤も確かである。

様式建築の脱却と束縛から脱皮

2者よる近代建築のヒントはいまの時代にも一時の光となっているのは確かである。

当時の純粋建築と違い現代は様々な事象が存在するだろう。

ドローイングによる美しく信仰建築とは現代は遠く遥かなモノとなってしまった。

ただ先人達の取り組みや情熱は今の社会でも学ぶところの学問に勝る思想が存在する。

建築思想がマイノリティ的な社会になった要因は一体なんなのか?

日本建築界が世界建築界にくらべ遅れをとっているのはなぜか?

自由奔放なカタチがなされないのはなにか?

個々に限られた時間という枠の中でどこまで近づけるか

残りの道程を想いながらも明日という日がくる幸せがあるのである。(sim)

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