Archive for the ‘デザインに想う’ Category

等価交換では成り立たない

あたえられた予算と家族構成

つけ加えるならば

敷地やクライアントのバックグラウンドや時代背景

あらゆる組み立ての中に絶対値として存在するコスト

そんなものに縛られている間は、クライアントの望むカタチは出来る筈も無く

その前にやらなくてならない事象が数多く存在する

諸問題を自問自答するくらいならわかるものの

クライアントに問いかけてもなにも解決しない

第三者の立場から見る分には言い訳くらいには聞こえるが

二人称で進むロジックにそんな甘えも存在しない

必要なものは必要なものとして受け入れ自力にて解決して行くほか無いのだ

(むしろそうすべきである)

建築家という者はギブアップしない人種である

(むしろ苦業を楽しむ傾向が多いし苦業とも思わないだろう)

時代を追って考えるにそんな事をいった者を自分は知らないし会った事もない

言い換えるならばその時点で終わりだからである

(もしかすれば知らないと言ってもいいだろう:笑)

しかし受けるからにはコンプリートしなげればならない自責がうまれる

様々な答えを見極めながら押し進めて行くロジックには

「何かを求めれば何かを失う」という

等価交換の原則にしばられながら現実から抜け出せないのが実情だろう

そうであれば

毎日、退屈した日々の繰り返しを送ることになる

そんなベターなデザインをするより

好奇心からうまれるベストなデザインを愛することが

クライアントにとって

何よりのカタチとなり責務となることを信じている(sim)

SKY

見上げると虹がかかっていた。

久しぶりに見る!

薄らであるけれど色彩がとても美しい。

そういえば子供のころ虹の足もとには宝箱がある話を聞いたことがある。

しかし上空から見下げた虹は円形なのを観てそんなことないことを知った。

夢は夢であってほしかったな~(笑)

もう夏が来たのだと感じた一瞬だった(sim)

URBAN RESIDENCE

2011年 6月 URBAN RESIDENCE (sim)

陽だまりの舎

2011年 6月 青天 (sim)

WEEKEND HOUSE

よくクライアントとライティングのことについて話す。

というより聞き出していくと言ったほうが正解かもしれない。

皆さんが、ほとんどがよくわからないという答えを出すからだ。

しかし、聞き出すといってもこれといった正解を持たない段階で行うのがベターだと想う。

一定のレイアウトを提示するとそこからイメージが大きくならないからだ。

だから間取りや暮らし方をカタチ創る前におこなったディスカッション的な時間をとる。

おそらく時間が許す限りイメージやクライアントが求めた暮らしに近いものにするため打合せを続ける。

そんなとき役立つのがクライアントが創ったイメージコラージュだ。

これを紐解き一定のストーリーを組み立てる。

コラージュがなければ前述したように聞き出すしかないのだがEIIIのクライアントは皆さん

自分の言葉で話してくれる!

楽しく、素敵なライティングに成ることは間違いないのだがたまに、商品が見当たらないときもある。

何社に及ぶ製品からチョイスするのだがなければ、アイテムショップを探したり

ネットにて探したりと世界は広い。

しかし、かならず自分に合ったものがあるはずです。

そんなライティングは建築同様楽しいものである(sim)

家族

今日は妻の誕生日である。(出会ってからは、もう32年経つ)

祝いのケーキとワインを手に帰ると、そこに娘が帰えってきた。

手には、プレゼントのケーキ!(笑)

どうやらおこずかいで手に入れたらしい。

お互いプレゼントがかぶってしまったが妻はとても喜んでくれた。

熊本に帰ってきてからというもの3人忙しい日々の毎日だが

やはり家族の気持ちはどこかで繋がっているものらしい。

食べきれないケーキを前に今夜は、とても楽しい夕食となった(笑:sim)

建築事務所

EIIEはプロデュース会社に登録している。

思い浮かぶだけで2社くらいだろう。

近くその一つが業務を終える。

東京でアトリエに居た頃は建築事務所をプロデュースするなんて聞いた事が無かったし知らない。

今思えば当然の事だろう。(笑)

個人利益を無視しながらカタチを追求する建築事務所など

なんの利益を生む筈も無くパートナーなどチームを組んでもなんの意味を持たないからである。

そもそも建築にそんなパトロン的第四者が必要だろうか?

資本主義社会でそのロジックは難しく

どこかで嘘をつかなければいけなくなる。

そんな事を見抜けないほどクライアントも馬鹿ではないはず。

では、定義を変えてかんがえてみよう。

建築事務所が日本にどのくらい存在するのか。

おそらく世の中の人の思いとは裏腹にとても多いことに驚く筈。

なぜなら建築事務所がなければ社会が成り立たないからである。

住宅メーカーというカテゴリーも存在出来ないのだ。

これは、医者や弁護士の数の匹敵ではない。

しかし社会的地位が確立していない現状は確かなのだ。

そこで前問のプロデュース的業務の登場となる。

この状況は社会状況や世相等時代時代で変遷して行くのだが

変わらない事が一つだけある。

建築を好きになると時代や個人利益など常識が見えなくということだ。

これは医者が持っている力を出し切る行為に似ている。

クライマーと似ている。

それに教科書で習った建築家も身近にかんじる幻想にとらわれ建築に邁進する事となる。

おそらく建築を志した全ての人は同じ気持ちが根底にはあり現実の塊に埋まっているに過ぎないだろう。

もし自分の想いをカタチにしたければ自分のなかから産むしか無いだろうし

もう一度、建築事務所のありかたに光を与えるべきなのかもしれない。

流水渦中あるのみ(sim)

ちばりょー東北!

知人から届いたメール。

そこには被災地の現実が映し出されていた。

原発から10km圏内の地域には人間はもちろん動物も見当たらないらしい。

記事情報やメディアなどで想像するもリアルさがない。

しかし、フロントガラスの向こうには、2か月前には町や家屋があったはずだ。

暮らしや家族がいたはず・・・。

仕事柄、建築をしてきた者にとって衝撃的で考えさせられる一枚だ。

創造する作業が、いかに大変かを身にしみて感じた。

そんな現実をうけとめながら活動している知人をはじめ復興活動をされている人々に感謝するとともに

改めて一日も早い元の暮らしが戻るのを心から祈るばかりである。

最後に知人がよせた言葉を載せる。(sim)

ちばりょー東北!
ちばりょー日本!

古き良き資産

トグルスイッチ!

近頃のハイテク三昧な情報に飽き飽きしてきた今日この頃!

久しぶりに市電に・・・・。

コクピットの一つ一つに新しさを感じるのは今では手に入らない物への想いからか・・・?

かっこいいです!(嬉)

ちなみに・・・・

ちかごろ路線がこんなことになっている?

芝生?・・・微妙なラインなのか、いまいちしっくりこない感じ(笑)

停留所までするのは行き過ぎやね?

ボロイ市電だから停まるたびにオイルだらだら落ちてるし・・・・・!(泣)

生き物にはNGでしょう!(怒)

市電という古き良き資産と景観保全というランドスケープ構想には

もっと足もとから見たほうがベターやね(sim)

陽だまりの舎

田園風景に建つ「陽だまりの舎」

平屋特有の佇まいは、地に根差すカタチだろう。

開放感が生む暮らしは庭と家との境界線を曖昧にしながらも包括的な心地よさを味わうことができる。

風・土・光など自然の三要素を感じる舎になることだろう(sim)