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未知金色の世界

「建築界に身を投じる」

師である師匠のもと俗世から切り離す一説きを経験なれば俗世の事象は素晴らしく美しいことばかりである。

糧を生業とする事も無く事象をカタチづくるこだわりを

現世に与えられた時間を費やす日々日常は未知金色の世界である。

(simoda)

幸せな毎日

最近いろんな方と話す機会がある。

クライアント・・・・

同業者・・・・

ビルダー・・・・

パートナー(職人さん)・・・・

この仕事をしているといろんな業種・立場・年齢・国籍・・・など

多岐にわたる方々とトークする!(これって一種独特の業種でしょう:笑)

そんなカテゴリーのなかで一番気になる同業者的存在の関わりはみなさん気になるところでしょう!

設計事務所はいわゆる中立的指導というロジックジレンマの塊です。

いいかえれば風が吹けばいろんなところに流される立場:笑

(薄っぺらってことですか!)

そんな風をもろともせず同じ所に立ち止まることが出来るスタンスが

ポリシーとなるんでしょう!!(これ大切!)

固執すれば「我がまま」になるし、どうでもいいと「シラケ」にもなる!

最近そんな人と話すというか、耳にする事は、みなさん「幸せを感じ得ていない」ということ。

(以外と愚痴が多い:泣)

この世界に入り自分が携わる事象についてそんなロジックはありえないし想ったこともないだろう。

自欲をみたす毎日を送りたいとはサラサラ想わない。

(社会人としてはNGかも・・・笑)

享年60年がこの業界のピークとすればまだまだヒヨッコである!

その時間が短い程、美しい光を放つものである。

(一昔前の時代に生きた建築家でしょう:いまでは逆かも!:泣)

不満足な毎日を送る程、日々退屈でもないし、幸せを感じる一時でとても満足である。

やりたい事は自ら求め歩み

よりよいパートナーに巡り会うことである!

これって家づくりというか

無から有を生み出す事象に似てますよね!(sim)

Whity

Whityの現場へとやって来た。

コンプリートまで後少しの9合目と言った所か!

頂上が見えると近くて遠いのは人それぞれ想いが違うはず。

ただクライアントと会って一年の歳月が経つ事を想えばわれわれ委託者における呵責は

依頼者と同じである。そんな月日を想像すれば

幾度も訪れる現場と言う空間は

図面と照らし合わせても寸分の違いもない。

設計事務所に置いて図面の重みは、異業種からすれば解り得ないかもしれない。

(とは言っても図面を表現するのは厚さミクロンの紙切れ:泣)

いっそのこと岩に書いてみると重さも実感出来るに違いない。

(紙幣ではなく石金みたいに)←石器時代:笑

しかし原寸にてカタチつくる現場を観ればミクロンの世界も現実となる!

最近想う事は「金」の価値が薄っぺらになった事!

これは人が営む日常におおきく影をおとす。

実感のない暮らしが当然となる現代は悲しい限りだ!

見えないものこそ恐ろしいものである!

そんな内なる心情を共有出来る者こそこの世界に生き残る手がかりとなる。

重さから生じる事象のコトナリは全て自ずからの成り立ちとなる(sim)

我々の役割

「こだわれば値段が上がるのか???」

という問いかけをどう受けとめるのか!

そもそもクライアントとアーキテクトの関係において値段が上がる下がるといったロジックは存在しない。

いわゆるプレゼンテーションと言う行為は仕事を受ける為の作業と受け止めないでほしい。

定例会・現場説明・打ち合わせといった日常におけるクライントとの接点は

我々にとってプレゼンテーションの連続である。

けして消化試合ではなく勝負試合ということだろうか(笑)

奢る事無くクライアントと共に限られた時間と条件さらにはコストという狭間に邁進する事は

クライアント同様同じ気持ちでいることがアーキテクトの第一条件となる。

では

「ローコスト」というロジックはどうだろう?

一言で表せば「無駄なコストをかけない!かけさせない!」に尽きる。

後者における「かけさせない」がわれわれアーキテクトの本業とも言える。

ここがブレると「建築家」でなく「建築屋」というダークサイドに陥ってしまう。

これこそが「建築事務所」という役割の本質であると想う(sim)

三者である大切さ

一概に「家づくり」といっても様々な取り組み方が存在する。

言える事は三分法の基本概念が昨今崩れつつある事実だ。

古今東西世界一有に至る定理が昔から存在する。

「平等」いうテーマにおける理念は深く単純な世界である事は皆知る事実であろう。

そもすれば小さい世界観の一つである建築界において上記の基本概念を明記するならば

クライアント:ビルダー:アーキテクトが基本バランスの定理に値する。

これは「平等」という三分法のカタチである。

昨今これに「プロデュース」というカテゴリーを称する勢力が入りつつある。

いままで三者における話し合いや協議と行ったテーブルに新しく一辺が生じる事でバランスが崩れつつある。

三者分権による「自由な発言」「協力的是正」と決して多数決では解決出来ない関係が

頂点が増える事により「資本主義的権力」が生まれつつあるのだ。

これは建築に至るまでもなくどの世界でも存在しうる事象だろう。

クライントに伝える事は自らの取り組みから生まれる事象こそ「純粋」でありつつも本等の姿というのを解って欲しい。

「四者協議」における取り組みは「家づくり」においてもあらゆる事象においてもタブーである。

家づくり

「家づくり」・・・・

といっても様々な取り組みが現在、散在している。

クライアントになろうとしている方々にとっては、困惑する事象だろう。

根幹には、

クライントを牽引していく「人」はシンプルが最強だろう。

もちろん

設計やデザイン・施工や職人といった人や業種レベルでは全てにおいて立場的平等である。

なぜなら「チーム」であるべきだからだ!

しかしそれぞれ皆が、主張し始めるとクライアントは困惑するばかりである。

プロ集団によるトップ的立場が多数の家づくり

責任者がいないメーカー的取り組みの家づくり

組織的ヒエラルキーのゼネコン的家づくり

プロデューサー的第三者の介入による薄味の家づくり・・・など

とても回り道で

ジレンマの生じる家づくりになるだろう。

そもそも

クライント自体が以前(モダニズム以降もしくは経済破綻以降)にくらべ

過保護的な立場に落ちつつある。

けして先人やクライアントとなる方々の責任ではない。

創造を生業にしている我々の責任だろう。

工法やアイデア!

経済大国に勝負を挑まない事象かもしれない。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

シンプルこそ「美しい」

というのは、何もデザインから生み出されるカタチだけではない!

「取り組み」や「人間関係」においての「日常」にも直結する大切なワードになる。

しかるに

「クライント」「アーキテクト」「ビルダー」という相互関係を

再構築しなければならない時代であることは間違いない(つづく:sim)

建築

最近「建築」に携わる者として考え方が変わりつつある。

クライアントと共にする時間が増す程、変わる想いである。

いいかえれば元に「戻りつつある」と言った方がいいのかもしれない。

「ブルー」の時代を歩んで来た学生時代。

想い描いた理想の仕事をしたアトリエ時代。

(暮らしはキツかったがバイタリティあふれる仲間と過ごした時間)

混沌とした暗中の中、時間だけが過ぎた活動時代。

そんな我中流水をすぎた現在は

キラキラ輝いた瞳のクライアントに恵まれ

日々、建築夢中の日々である。

今日もそんなクライントと一緒に時間が過ごせる至福の時間があった。

「建築」は世界一幸せな仕事である。

衣食住のなかで唯一クライアントに近い所で仕事のできる幸せな仕事である。

どんなに時代や経済が変わろうと不変な生業であることは間違いない。

そのためにも本質の喜びをもっと若い人には分かって欲しい仕事である。

かっこ良く素敵なイメージを捨て去り

泥臭く地味でありながら「生み出す」幸せを学ぶべきだろう。

「建築」は世界一幸せな生業である(sim)

等価交換では成り立たない

あたえられた予算と家族構成

つけ加えるならば

敷地やクライアントのバックグラウンドや時代背景

あらゆる組み立ての中に絶対値として存在するコスト

そんなものに縛られている間は、クライアントの望むカタチは出来る筈も無く

その前にやらなくてならない事象が数多く存在する

諸問題を自問自答するくらいならわかるものの

クライアントに問いかけてもなにも解決しない

第三者の立場から見る分には言い訳くらいには聞こえるが

二人称で進むロジックにそんな甘えも存在しない

必要なものは必要なものとして受け入れ自力にて解決して行くほか無いのだ

(むしろそうすべきである)

建築家という者はギブアップしない人種である

(むしろ苦業を楽しむ傾向が多いし苦業とも思わないだろう)

時代を追って考えるにそんな事をいった者を自分は知らないし会った事もない

言い換えるならばその時点で終わりだからである

(もしかすれば知らないと言ってもいいだろう:笑)

しかし受けるからにはコンプリートしなげればならない自責がうまれる

様々な答えを見極めながら押し進めて行くロジックには

「何かを求めれば何かを失う」という

等価交換の原則にしばられながら現実から抜け出せないのが実情だろう

そうであれば

毎日、退屈した日々の繰り返しを送ることになる

そんなベターなデザインをするより

好奇心からうまれるベストなデザインを愛することが

クライアントにとって

何よりのカタチとなり責務となることを信じている(sim)

決まった毎日

毎朝、事務所の神棚に参ることから一日が始まる。(おおむね7時半くらい)

っていうか変な神棚?(笑)

お神酒と神花を入れているのは友人の作品。(大学からの付き合いだ)

京都でガラス工房を営んでいる。

友人のブログ → http://glassrooms.exblog.jp/

その先に控えるのがエンジェルとデビルのフィギュア(罰あたりか?笑)←なぜかトーヨーキッチン

エンジェルデビル

紺碧色がすきなのでタイルをアレンジ。

退屈した時は模様替えもする。(暇なのか)

カタチはどうあれ年のせいか毎日決まった暮らしを送ることを心がけている。

やはり早起きして仕事に取り掛かると気持ちがいいものである(sim)

応えること

クライアントとは何か

様々なロジックを書き連ねて来たがそろそろ答えなければいけない

建築家とは何か

学び考え感じ見て来たこととは何か

答えは出ている。しかし語る事の難しさがためらわせる

この相互関係に生まれる答えは何か

その一点が答えとなる(sim)