委託する側の想いは複雑である。(クライアントとは限らない。)
それを理解しながら受け入れることが求められる。
しかし、それだけではカタチはできない。
けして出来ないからと言って終着に向かってはいけない。
委託者の都合に頼ってはいけない。
あきらてはいけないのだ。
大切に想うことは、もの創りの根本だと思う(sim)
ずっと暮らせるいい家づくりを追求する、熊本市の注文住宅設計事務所 EIIE(イイイエ)のブログです。
Posts Tagged ‘こだわり’
エントランスドアとガルバニウムの壁。
相対する素材のコントラストがデザインモチーフとなった住まい。
いわゆるデザインする側のルールなのかもしれない。
住み手にとっては・・・・?
(家を買うという方には無用のルールだろう)
しかしわが社に訪れるクライアントはそうとも言えない。
求められるケースも多いしわかってくれる。
セーブしていると見抜かれるケースさえある。
ぼんやりではあるが個個としたイメージの指標がをお互い確認し合う。
ぶれないようにカタチをもとめていく行為そもそもがデザインなのだろうか?
カタチなのか?ハートなのか?
個々なのか?世間なのか?
ちかごろは情報という膨大な大海のなか様々な議論があっているようだ。
ただ言えることは、託した物が無用のものにならぬよう日々努力することだと思う(sim)
この表現にある意味はなんだろうとたまに想う。
立場を変えればわがままとも受け止められる。
立場とは何か?
クライアントからしてみればいい迷惑な話。
しかし、「委託」という立場を客観的に見ればそうでもない。
客観的にとは何か?
全てにおいて二人称となるモノつくりから三人称になるまでの道程には様々な想いが含まれる。
さらには、
技量的なノウハウがとわれる内容には、クライアントの想いが大切。
だが、そんなにシンプルではないのだ。
まるで毛玉をほどくかのような作業。
複雑なカタチほど、想いは単純である。
素直に考える事から生まれるカタチは、説得力もあるし美しい。
素直こそ美しい。
それは自然体から生まれるカタチなのだ。(sim)
この仕事を選んだときから毎日が過ぎるのが早い。(っというか繰り返し)
建築を志したときから思えば30年という年月もあっという間に感じる。
業種に限らず「仕事」を託されたらコンプリートしないではおけないと性格。
人の家ともなれば「家族の暮らし」そのものを託されるだから責任も重い。
それに負けないともなれば、自分のもっている力を総動員しなければ足を踏み外しそうになる。
細いエッジを歩いているかのよう・・・。
毎日がそんな緊張の連続で果てしなく続くのだが・・・それがまた、面白い。
それに・・・
行く先々でいろんなモノに出会う。
人であったり想いであったり・・・!
だから、やめたいと思った事は一度もない。
建築に出会えてとてもありがたいとすら想える。
だから託された家を愛してもいるし全てのクライアントが好きなんだろう。(sim)