Posts Tagged ‘こだわり’

いくつもの思いを大切にしたい(抜粋)

委託する側の想いは複雑である。(クライアントとは限らない。)

それを理解しながら受け入れることが求められる。

しかし、それだけではカタチはできない。

けして出来ないからと言って終着に向かってはいけない。

委託者の都合に頼ってはいけない。

あきらてはいけないのだ。

大切に想うことは、もの創りの根本だと思う(sim)

人生の芯を創りたい(抜粋)

暮らしを築く。

パートナーと歩む。

家族を育む。

自分や家族を原風景にカタチづくる。

覚悟や勇気がいる。

そんな想いを受け止めたいと思う(sim)

無用のもの

エントランスドアとガルバニウムの壁。

相対する素材のコントラストがデザインモチーフとなった住まい。

いわゆるデザインする側のルールなのかもしれない。

住み手にとっては・・・・?

(家を買うという方には無用のルールだろう)

しかしわが社に訪れるクライアントはそうとも言えない。

求められるケースも多いしわかってくれる。

セーブしていると見抜かれるケースさえある。

ぼんやりではあるが個個としたイメージの指標がをお互い確認し合う。

ぶれないようにカタチをもとめていく行為そもそもがデザインなのだろうか?

カタチなのか?ハートなのか?

個々なのか?世間なのか?

ちかごろは情報という膨大な大海のなか様々な議論があっているようだ。

ただ言えることは、託した物が無用のものにならぬよう日々努力することだと思う(sim)

素直な気持ちでデザインしたい(抜粋)

この表現にある意味はなんだろうとたまに想う。

立場を変えればわがままとも受け止められる。

立場とは何か?

クライアントからしてみればいい迷惑な話。

しかし、「委託」という立場を客観的に見ればそうでもない。

客観的にとは何か?

全てにおいて二人称となるモノつくりから三人称になるまでの道程には様々な想いが含まれる。

さらには、

技量的なノウハウがとわれる内容には、クライアントの想いが大切。

だが、そんなにシンプルではないのだ。

まるで毛玉をほどくかのような作業。

複雑なカタチほど、想いは単純である。

素直に考える事から生まれるカタチは、説得力もあるし美しい。

素直こそ美しい。

それは自然体から生まれるカタチなのだ。(sim)

クライアントらしさを表現したい(抜粋)

家を語る上でクライアントは必要不可欠な存在。

なぜか?

クライアントとは何か?

建築と家は同等なのか?

家を通して地域に根ざしたい(抜粋)

個々の最小形態が家族であり社会に取ってかけがえの無い存在だからです。

社会性というのは、その現れ!

設計というより重い存在。

っというか、僕自身のその一部。

建築学を学ぶにつれて感じた結果がその答え。

手を広げれば届いてしまうほど縮小した世界。

全ての地域が繋がり合う事で次世代を担う子供に受け継がれれるすばらしい地域を残したいですね!(sim)

全ての想いや事象を受け入れたい(抜粋)

この想いは非常に確信に近い事象かもしれない。

いろんな取り組みの中の芯になる部分。

「託される」という職種独特のロジック。

それをクリアしないと必要とされない怖ささえ感じる。

「応える」という実績が試される毎日でもあり、嬉しさでもあります。(sim)

悩むこと・こだわることを大切にしたい(抜粋)

「脳解式」と言う言葉がある。

無から有をつくるという事は必ず衝突が生じるものです。

建築は諸問題を解決して行く事の積み重ねですね。

しかし、その中には、解決するがあまり大切な事を見落としがちになる事も事実。

順序良くクリアにしていく道程をゆっくり進んでいくことも大切だと思う。(sim)

持っている力を家にそそぎたい(抜粋)

この仕事を選んだときから毎日が過ぎるのが早い。(っというか繰り返し)

建築を志したときから思えば30年という年月もあっという間に感じる。

業種に限らず「仕事」を託されたらコンプリートしないではおけないと性格。

人の家ともなれば「家族の暮らし」そのものを託されるだから責任も重い。

それに負けないともなれば、自分のもっている力を総動員しなければ足を踏み外しそうになる。

細いエッジを歩いているかのよう・・・。

毎日がそんな緊張の連続で果てしなく続くのだが・・・それがまた、面白い。

それに・・・

行く先々でいろんなモノに出会う。

人であったり想いであったり・・・!

だから、やめたいと思った事は一度もない。

建築に出会えてとてもありがたいとすら想える。

だから託された家を愛してもいるし全てのクライアントが好きなんだろう。(sim)

受け継がれていくことの大切さをカタチにしたい(抜粋)

毎年、新しい年がくるたびに何時も思う。

社会は「伝承」によって受け継がれて行く事を・・・。

難しく考えることはなく、至って簡単な事なのだが・・・!

何となく「家」と似ている。

技なり技術なり全ての事象は先人からの教えや営みがあってこそ。

つくづく思う。

受け継がれて行くすばらしさと確かな進歩。

世の中全てが、一つの和になり繋がっているとしたら・・・

周りを見渡した時、カタチあるものは、全て必要であって

不必要なものは一つもない事に気づくはずです。(sim)