Archive for 4月, 2011

URBAN RESIDENCE

スキップフロアで構成されたサブリビング和室。

この住まいはリビング→キッチン→和室→書斎へとスキップしながら登っていく(笑)

全ての空間が一つになり暮らしが営まれる。

ファサードからは想像できないくらい明るくのびのび暮らすには最高のコートハウスである。

お庭にも段差が生じちょっとおしゃれな構成となっている。

視線をコントロールしてできたダイニングデッキはきっと心地よいだろう(sim)

TRUNK

TRUNKにデザインしたパウダールーム。

ゆっくりとした時間を楽しむため専用のサロン風のドレッシングスペースをつくりました。

クラシカルなアイテムとハイテクな素材の融合にチャレンジ。

意外としっくりきた感じです!(笑:sim)

ホームページ http://www.b-billion.co.jp/carino-trunk/

ブログ http://www.carino.co.jp/miyazaki/shop/trunk/info.html

マレンコ

アレフレックスからDMが届いた。

思えばこのマレンコにはちょっとした思い出がある。

40周年をむかえるそうだが

実際見たのは安藤さんの住宅をおとずれた時だ。

無知な自分に驚きと心地よさを教えてくれたソファ!

こんな便りに懐かしさを感じたメールとなった(sim)

http://news.arflex.co.jp/archives/marenco_40th_annversary.html

URBAN RESIDENCE

こげ茶の壁に引き込まれるメタルドア。

モダンでシャープな建具とナチュラルなDesignWallのコントラストがちょうどいいインテリアになっています。

ほとんどがナラ材によるオイルフィニッシュ!

そこから繰り出せる暖かい雰囲気が住まいのライフスタイルになっていくでしょう!(sim)

URBAN RESIDENCE

スキップフロアとなるサブリビング和室。

リビングから1.8m上がる和室は、上下でほどほどに会話が出来る高さ。

広がりも感じられフレキシブルな空間になるだろう(sim)

タクシードライバー

1976年(アメリカ) マーティン・スコセッシ作

学生時代に見て以来の観賞。

冒頭から流れる音楽に引き込まれつつも時代の古さを感じながらもストーリーを組み立てる。

中盤に差し掛かるとそんな読み解く努力も飽きて素直に受け入れるスタイルに切り替えた

若干、この作品に違和感を感じだしたのは、なんでだろう?

学生時代に感じたものとは違う気持ち悪さにも感じる不快感は不思議なものだった。

主人公の不可解な行動とナレーションの食い違いに飽き飽きもした。

もっと時間をかけ丁寧に描ければ申し分ないのだろうが・・・・。

このようなスタイルのシナリオは主人公の内面へと進んでいくのだが

鑑賞る者と同調しなければかえって気持ち悪い映画となるだろう。

むしろチャンスを逃した絶望感や哀愁に耐え切れなくなり

ちゃんと受け止めることもできず答えも見いだせないとき人が思いもよらない

行動に出る怖ささえ感じた。

一般的には、名作?として扱われるものの昨日観賞した限りではその称号も

自分の棚からおろさなければならないだろう。(sim)

Shine

「Shine」の情報を更新いたしました。

光の森に建つこの住まいはe-House社にとって想いで深い作品です。

5年の年月が経ち家族の成長と共に過ごした住まいは味わい深いものとなっているでしょう(sim)

http://www.e-iii.net/works/index.php?wid=0027

Nature

新しい住まいの横にある公園で遊ぶとあくん。

横では春まっ盛りの桜と建築中の住まい。

あと少しすれば毎日、元気に遊ぶ姿や声が聞こえることだろう。

この住まいの屋上にもここに負けないくらいの空間がある。

一面に空を取り込んだデッキスペースとベッドルーム。

プライバシーを確保しながら広がるテラスはきっと格好の場所になることは間違いないだろう。

家族みんなでくつろげる秘密の場所である(笑:sim)

Symmetry

「Symmetry」の情報を更新いたしました。

菊池に建つ住まいは左右対称デザインをモチーフにした住まい。

コの字型に開いた空間は自由で利便性。

あったかい雰囲気に満ちた住まいです(sim)

http://www.e-iii.net/works/index.php?wid=0021

URBAN RESIDENCE

次第にカタチが整って行くファサードには様々な過程が存在する。

クライアントとは数年にわたり話をしてきた。

見学会からスタートした年月は今思えばあっという間に感じる。

そんな年月をカタチづけることは、本当に可能なのだろうか。

可能だとすれば前に見える有機的なものも含め感じられる全ての事象が答えなのかもしれない(sim)